パンの耳 heel of bread 2005 10 20

 いつも固い話ばかりですので、たまには、笑い話をしましょう。
これは、私が学生時代の話です。
 私は、いつも、夕方、犬を散歩させていました。
その当時は、私は、成長期でしたので、夕飯まで待てず、
つい途中の商店で、パンを買って食べていました。
 ある時、いつも、パンの耳ばかり与えては、かわいそうだと思って、
愛犬に、パンの中心部分を与えました。
 その後、大変なことになりました。
愛犬が、パンのおいしい部分を覚えてしまい、
パンの耳を食べなくなってしまったのです。
 その後、パンの耳を捨てるのも、もったいないので、
私が、パンの耳を食べ、
愛犬が、パンの中心部を食べることになったのです。
 この話を、知人に話したら、
「犬も子供も、同じかもしれない」と言っていました。
 ある時、知人は、ボーナスが入ったので、
つい気が大きくなって、鮨屋で、子供に、大トロを食べさせてしまったのです。
その後、大変なことになったのは、想像がつくでしょう。
子供は、大トロの味を覚えてしまい、赤身の刺身を食べなくなったそうです。
 大トロは、赤身の刺身より、脂身が多く、
上質な牛肉を食べたような食感です。
 しかし、肉食の習慣がなかった江戸時代は、
それが嫌われ、赤身の方が重宝されたのです。
大トロの部分は、捨てていたという話を聞いたことがあります。

豊かさとは true affluence 2004 6 15
 子供にとって、物質的な豊かさは、毒となります。
大人は、なぜ豊かなのか、理解できますが、
子供には、それが理解できません。
子供は、豊かであることが当然と考えるのです。
 ここに不幸があるのです。
子供時代は、豊かで贅沢だったでしょうが、
それは、親の財産によって、豊かで贅沢な生活だったのです。
 こうした子供が大人になると、どうなるか。
こうした子供でも大人になれば、
今度は、自分の財産によって生活をしていかなければなりません。
そうすると、子供時代に比べて、
生活が苦しい、あるいは貧乏になったと感じるのです。
 このように、子供時代に、贅沢を覚えてしまうことは、
子供にとって不幸なことです。
 最近は、リストラや給料カットで生活が苦しくなったため、
少子化が進行していると考える人もいるでしょう。
 確かに、そのとおりかもしれない。
しかし、本質的な問題があると思います。
 私の父親は、よく言います。
昔は、日本が貧かったので、食べ物がなくて困ったものだ。
毎日、食べ物のことを心配していた。
 私の父親は、7人兄弟です。
7人が協力して、厳しい時代を生き抜いてきたのです。
 この時代は、物質的には貧しかったでしょうが、
精神的には豊かだったのです。






































































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